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31 小さな目標の小さな達成感でも・・・
27 相手を元気づけたいとき
24 「好き」だからする
20 プレッシャーを与えない応援の言葉〜「Don't work too hard」〜
13 ふだんは意識していない“自分”に気づくとき
10 同じ親に育てられても「環境」が違うということ
06 「がんばってね」と「がんばってるね」
03 相手に同意できないとき〜自分の気持ちに正直に、かつ、相手の気持ちを察してみよう〜


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today's tubuyaki 2006/07/31 mon 「小さな目標の小さな達成感でも・・・」
挿絵

昨日、小・中学生が弾く『ピアノ発表会』に行ってきました。

「始めは全然弾けなかった曲が、1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月と続けて練習していくうちに、弾けるようになる。
『継続は力なり』と言いますが、努力を継続した後に『達成感を味わう』という体験は、これからの長い人生できっと役に立つと思います。」

これは、閉会の挨拶でピアノの先生が言われた言葉。
なかなかいいこと言いますよね〜喜

と私は思ったのですが、なかには、

「弾けるようになったけど、簡単に誰でも弾ける曲だから、達成感なんて味わえない。」

と感じた親御さんやお子さんもいらっしゃったようで・・・涙

たとえ周りの人たちにとっては簡単な目標でも、 本人が、がんばってやり遂げたことを周囲の人たちに認められ、 「やった〜喜」という達成感を味わえると、 「次の目標に挑戦するぞ〜楽」という気持ちが わいてくると思うんですよね〜。
1つ目標を達成したら、はい終わり、ではなくて、 次につなげていくことが大事ですものねぇ?
だから、小さな目標の小さな達成感でも、 大切に扱って欲しいなぁ〜って思ったことでした笑

today's tubuyaki 2006/07/27 thu 「相手を元気づけたいとき」
挿絵

〈プレッシャーを与えない応援の言葉〜〉に、以下のコメントいただきました。
ありがとうございます。

(相手にプレッシャーを与えず応援するには)『元気』を感染させること。
(応援の言葉に)決まった言葉は無い。
けど言葉でも眼差しでも微笑みでも仕草でもマッチしてれば絶対効果あり。
効果がないとか逆効果とかは、感染源にパワーか思いやりか技術か観察力のどれかか、全部が足りないからでねかな。
 「頑張れぇ」と心から言っても、相手の心が弱ってる時は、言葉は記号化した命令として「ガンバ レ」と鳴るだけで心に届かない。
いっぱいいっぱいの時には、「もうダメ」となっちゃう。だからと言って、「頑張らなくていい」とか「無理するなよ」とか「気楽にいこうぜ」とか言っても 記号化した逆の命令になるだけで・・・。
ああ難しい、難しいって?そりゃ難しいよ。
心情を一言で表わそうなんてことは、それズル過ぎ。ほんとに相手に同情していない証拠。


相手を元気づけるための決まった言葉や正解などは無くて、 大事なことは、その人の状況を正確に把握したうえで、 真剣に思い考え抜いたことを、気持ちをこめて表現すること、 と言えそうですかね〜喜 それから、相手に『元気』を感染できるくらい自分も『元気』でいること、 これも大事なことですよね〜楽

さてさて、コメントの続きです。

松山で固有かどうかは定かでないけれど、なじみ深いのを紹介しておくと、
「ようやるのぉ、わしゃぁようせんなぁ」
(「よくやれますねぇ、私にはとてもできません」の意を心底口調でつぶやくように)を基本として「そうなん、そりゃエライこっちゃなぁ。
あんた偉いなぁ(「そうなんですか、それは大変なことですねぇ。それをやる、あるいはやっているあなたは素晴らしいですねぇ」と感嘆して絞り出すように言う)」などちりばめる、というものです。
これらは、記号化しても責めも攻めもしないで、誉めてくれるので、 聞いてる方は楽かむしろいい気になれて元気がゼロ以上増える。

私も、努力や苦労をねぎらってもらったり、 できたことを誉めてもらったりすると、とっても元気づけられます喜みなさんも、そういうこと、ありませんか?

today's tubuyaki 2006/07/24 mon 「「好き」だからする」
挿絵

周囲の人達と同じであるためとか、他人から認められたり褒められたりするためとかではなくて、「自分がそれを好きだから」する。
単純であたり前のことなのだろうけど、おとなになると、なかなかそうはできないこともあるのでは・・・?

そんなことを考えていたら、中学時代の思い出が、ふと頭に浮かんできました。
それは、水泳部に所属していた私が、ある試合で出会った女の子のこと・・・。

プールサイドにいるたくさんの人の中で、その女の子は一際目立っていました。
その子は、腕が1本だったのです。
彼女のレースを、私は固唾をのんで見つめていました。
スタートの合図で選手達がいっせいに泳ぎ出すと、彼女はすぐに他の選手達からひき離され、結局ビリでゴールしました。

私はその時、「もし自分だったら、片腕の体を人目にさらしたくない、他人の興味本位な眼差しにはとても耐えられない」と思いました。
でも彼女は、そんなことはまったく気にもしていない様子で、ビリでゴールした後も、颯爽とした表情で、チームメイト達のもとへ戻っていったのでした。

そんな彼女を見て、私はとても驚きました。
そして「彼女は『泳ぐこと』が好きなんだなぁ」と思いました。
それから、「他人の目」や「評価」「成果」をひどく気にするタチであった自分を、恥ずかしくも感じました。心を揺さぶられた体験でした。

「周りに合わせて行動すること」や「評価を得るために行動すること」は、社会の中で生活するために、必要なことと思います。
けれど、行動の基準を自分の「好き」「嫌い」に合わせて、「それをすること自体を楽しむ」こともできると、いいですよね〜笑

today's tubuyaki 2006/07/20 thu 「プレッシャーを与えない応援の言葉〜「Don't work too hard」〜」
挿絵

7/6の『「がんばってね」と「がんばってるね」』に

”がんばって”の使い方については、私もよく悩むことがあります。相手によっては、プレッシャーを与えているような気がして、これからがんばらなければいけない人に、「がんばって」が言えないことがあります。プレッシャーを与えないように応援するには、どう声を掛けたらよいのでしょうね。「テキトーに頑張って!」「ほどほどに頑張って!」というと、気持ちがあんまり伝わらない気がするし・・・。ホントむずかしいぃ。

というご感想をいただきました。ありがとうございます。

「これからがんばらなければいけない人」に「プレッシャーを与えないように応援する」ための言葉かけ。ほんと、むずかしいですよね〜。みなさんは、どうしてますか?
「こう言ってもらって嬉しかった」または「こんなふうに言ってみた」などの体験談を是非教えていただけたらと思います楽

ところで、『「がんばってね」〜』を読んだ私の友人が感想を送ってくれたので紹介しますね。
私は「なるほどなぁ〜」って思ったんですけど、みなさんはいかがでしょう?
友人は、アメリカ人の男性と結婚して、アメリカで生活した経験のある人です。

英語には「がんばって」に適する言葉ないんだよ。
もちろん辞書でひけば「Do your best」みたいなのも載ってるけど、それってスポーツとかもっと重い感じで使うみたい。
うちの旦那なんて仕事に行くときに言う言葉は「Don't work too hard」よ〜。
はじめは「これから仕事に行こうとしている人間にあまり働くな、なんて、なんて腰砕けなっ!」と思っていたけど(笑)、これってなれてくると心地よいのよ。(もう君が頑張って仕事するのはわかっているから)無理しないでね〜みたいな感じ!?
なんか「がんばれ」って日本的な言葉よね。

英語だと、その他にTake it easy とかGood luckとかも使えそうでしょうか??
これらを“いい感じ”の日本語にして使えたらいいですよね〜笑

*** おしらせ ***
次回のつぶやきは2006年7月20日(木)です。
today's tubuyaki 2006/07/13 thu 「ふだんは意識していない“自分”に気づくとき」
挿絵

前回、性格の話しを書きながら、大学の心理学実験の授業での体験を思い出しました。

その実験は、「エゴグラム」という性格検査を「仕事場や学校にいるときの自分(公的場面)」と「家など一番気楽にしているときの自分(私的場面)」の2パターンでやってみて結果を比較する、というものでした。

「エゴグラム」というのを簡単に説明しますネ。
エゴグラムは、人の内部には、
@親や養育者から取り入れられた状態や行動をする自我状態(「父親のような厳しい部分」と「母親のような養育的な部分」の2種類)
A事実に基づいて物事を客観的・論理的に判断する自我状態
B子どもの頃のように感じ行動する自我状態(「自由な子ども」と「親の期待に沿うような従順な子ども」の2種類)
の5つの側面があると仮定し、これらの機能がどのように配分されているかを数量化して、そのバランスから性格特性を知ろうとする性格検査です(『心理臨床大事典』を参照しています)。

で、私の結果は、2つとも「母親的な自我状態」が一番高かったのですが、 大きな違いは、公的場面では「従順な子どもが高く自由な子どもが低い」、 私的場面では「従順な子どもが低く自由な子どもが高い」ということでした。
この結果は、公の場では周囲に合わせて行動するのだけど、 家では自分のやりたい放題にやっている傾向がある、ということを示しています。

その頃、私はとても忙しい毎日でしたので、「はぁ〜・・・自分が思う以上に家族に迷惑かけてたかも・・・汗
と気づかされたのでありました哀

ふだんは意識していない自分の態度や行動を意識化してみると、今まで見えなかったものが見えてくるかもしれませんネ〜笑

today's tubuyaki 2006/07/10 mon 「同じ親に育てられても「環境」が違うということ」
挿絵

いつも「つぶやき」を読んでくださってありがとうございます。
今回は、

私は正直あまり相談は得意ではありませんが、素直に相談できる人が羨ましい時があります。と思ったりします(^.^)

というご感想をいただきました。ありがとうございます。

この方が、「あまり相談は得意ではない」理由は、長女としてしっかすることを期待されて育ち、どちらかと言えば相談される側の役割を担うことが多かったからだそうです。
この方の妹さんor弟さんは、頼れるお姉さんがいてくれたおかげで、 きっと救われることが多かったでしょうね。

この方のように、 「同じ親から産まれたのに、兄弟(姉妹)で性格が違う」 ということは、よくあることと思います。
性格は、遺伝と環境の影響を受けていると言われますが、 兄や姉がいるか、弟や妹がいるか、あるいは一人っ子かでは、 それだけで育つ「環境」が違っている、と言えそうですよね。
自分の性別や生まれた順番によって、 親の子どもへの関わり方が違ったり、 その家族の中で担う役割が違ったりしてくることがある、ということ、 読者のみなさんも、ご自身をふりかえってみて、思い当たるふしはありませんか?

ちなみに、私は二人姉妹の末っ子です。
姉は、たいへん出来が良く、すごく頼れる「お姉さん」でした。
親が三人居るような環境で育った私は、困ったことがあるとすぐ誰かに頼る依存的な傾向があるかなぁ・・・汗

today's tubuyaki 2006/07/06 thu 「がんばってね」と「がんばってるね」
挿絵

「がんばってね」と「がんばってるね」って、文字にすると一文字しか違わないのに、言われる側にとっては結構大きな違い・・・
と感じるのは、私だけでしょうか?

別れ際などに、「じゃ、がんばって」と挨拶代わり(?!)に“軽く”言われて、「もう、がんばってるんだケド・・・」
と思わずつぶやきたくなるときがあるのは、私だけでしょうか?

実は私、20代の頃はある会社の一般社員だったんですけど、苦手な先輩がいて、朝、家を出るとき、思わず「あーあ、行きたくないなぁ・・・」とボヤいてしまうことがあったんです。
そうすると母が、「がんばって」とハッパをかけてくれるのですけど、応援してくれる気持ちをありがたいなぁ喜と思う一方、これ以上がんばれないヨ涙)という気持ちになることもありました。

もちろん、いつも「がんばって」ではなくて「がんばってるね」と声をかけましょう、と言いたいわけではありませんよ。

“言葉”の使い方って、難しいなぁ・・・哀
だからこそ、「その言葉は今のその人にどう響くか」を考えて、言葉を使っていきたいなぁと思うんですよね〜笑

today's tubuyaki 2006/07/03 mon 「相手に同意できないとき〜自分の気持ちに正直に、かつ、相手の気持ちを察してみよう〜」
挿絵

 

6/22のつぶやきを読み返してみたけど、やっぱり、相談者の意見を「その状況だったら私もそう思うよ」とは思えなかったので感想を送ります。相談内容は一生を決めると言ってもよい、結婚についてで、結婚式の準備を進める二人の間では盛り上がっているけど、お互いのご両親のことを考えるとそれでいいの?と疑問に思うことが多々あります。二人の考え方と私の考え方に違いがあることはわかりますが、相談内容が人生の大きなイベントなだけに受け入れて聞いてあげることが大切なのか、それだけでは無責任ではないかとかアドバイスはお節介なのか悩んでしまいます。私が頑固なのでしょうか?

『流れ』に思いを馳せてみたけれど、「その状況だったら私もそう思うよ」とは 答えられない気持ちになられたとのお便りです。ありがとうございます喜

相談の内容や相手の性格や相手と自分との関係などによって、そうは思えない(or言えないor言いたくない)ことがあるのは自然なことです。
また、相手のことを思えばこそ、反対意見を言った方が良いときもあるでしょう。
なので、あなたが頑固なわけではないのだと思います。

「無責任でも受け入れる」か「アドバイスした方が良いか」との間で揺れる・・・
との内容から、「両親が共働きのため孫のめんどうをみているのだけど、孫に躾として言った方が良いと思うときでも、両親と過ごせず寂しい思いをしていると思うと、ついつい言えずに甘やかしてしまっている。孫に言うべきか、それともここは黙って見過ごし、躾は親に任せるべきか?」という質問を受けたときのことを思い出しました。
そのとき私は、孫の「寂しい」「甘えたい」などの気持ちを察してあげられるほど、孫のことをよくめんどうみておられることを支持したうえ、孫の気持ちを察してあげていることが大切であること、つまり、気持ちを察してあげていれば、祖父母が躾をするにしても、孫がそれを受け入れられるような言い方でできるであろうことをお伝えしました。(あと、両親と話し合うことも大切ということなど。)

相手の言動に対して、自分の考えを言いたくなるのは、とても自然なことです。
ただ、それをするときに、相手の気持ちを察しているのといないのとでは、相手への接し方が、おのずと違ってくると思うんですよね。
それと、そうは思っていないのに受け入れるフリをすること。これはNG。
そういうことは、すぐ相手に伝わってしまうものです。
自分の気持ちに正直に、かつ、相手の気持ちを察した対応ができるといいですネ笑


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